僕のお父さんは、厳しかったです。
小さいころは、好きなTV番組を見せてくれなかったし、TVゲームもなかなか買ってくれませんでした。TVゲームを初めて買ってもらったのは、小学校中学年になったころだったと記憶してます。買ってくれたゲームも好きなようにはやらせてもらえず、TVゲームをやる前は“TVゲーム使用記録”を付けていました。何時から何時までゲームをしたか、何のゲームをしたか、誰とやったか、TVゲームを終えたあとに目薬をさしたかを書くルールになっていました。
叱られるときは、手を上げられたこともありました。
“お父さんが残業で遅くなる日”は喜んでいました。好きなTV番組を見れるし、怒られることもなく自由にできるからです。
そんなお父さんですが、土日の休みの日には必ずと言っていいほど外に遊びに連れて行ってくれました。
僕は小さいころ、山陰の田舎の町に住んでいる時期が長かったので、近くのダムや貯水池、山林公園とかアスレチック公園に連れて行ってくれました。キャッチボールもしてくれました。で、また週明けから仕事に行っていました。
僕が学校の友達に、手術が必要なほどの大きさケガをさせてしまったときには一緒に謝りに行ってくれました。相手の親御さんに頭を下げてくれました。
今では年に数回しか会うことはありませんが、実家からこっちの家に帰ってくるときの実家の玄関口では、お母さんの陰に隠れて立っていて、そっと見送ってくれます。
僕の年齢が、お父さんがお母さんと結婚した年齢をすぎ、僕が生まれた年齢をすぎ、お父さんと小さいころの僕の記憶が残っている年齢になってきて、いっそう感謝の思いは大きくなりました。
お父さん、これからも健康だけには気をつけてください。
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良くも悪くも、子どもは親の背中を見て、大人になるんだなって感じています。
たとえば、僕が“几帳面な性格”であること。僕は割と細かいことを気にする、几帳面なタイプです。たぶん、お父さんゆずりです。いや、間違いないと思います 笑 上のエピソードでも書きましたが、ゲームをやるときは記録付けてました。それにお父さんは今でも車で外出するときは、走行距離のメータの推移をメモしています。(僕は車に乗らないので分からないのですが、よくやることなんですかね??)そのメータの記録とガソリンの消費の記録を照らし合わせて楽しんで(?)います。
あとは、僕が“自然が好き”であるということ。これも、小さいころにお父さんに外に遊びに連れて行ってもらっていた影響が大きいと思っています。山で泥だらけになって遊んだり、ドブでザリガニとりしたりしたのは、お父さんとの思い出の一つです。
離れて暮らすようになってからは、カープとサンフレッチェが共通の話題の一つです。
やっぱり、家族持って、仕事して、子どもを育てるって大変なことなんだろうと想像します。
ありがとう、おとうさん。
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今週のお題「おとうさん」